ヒンカリを教わり、国境を堪能し、本日めざすのは「パンキシ渓谷」。
ジョージアは、国民のほとんどがキリスト教徒ですが、パンキシ渓谷の住人はほとんどがチェチェン人(キスト人)イスラム教徒、ジョージアの中でもかなり変わった地域なのです。
19世紀にチェチェンから逃れてきた人々が村を形成していきますが、チェチェン紛争 時には武装勢力の存在が指摘され、ロシアからの空爆、ジョージアの治安部隊による掃討作戦が実施されるなど、混乱を極めました。
その後、落ち着きを取り戻したかと思われた矢先、イスラム国の重要な指導者のひとり「アブー・オマル・シーシャーニー」がこのパンキシ渓谷の出身者であることが発覚。更にこの地から少なくとも数十人はイスラム国に加わるためにシリアに渡った、など、なかなか一筋縄ではいかない場所のようです。
と、パンキシ渓谷の説明はこれくらいにして、早速出発です。
途中、通りかかったワイナリー「Javakhishvilis Cellar」に寄り道。

なんと、今年できたばかりのワイナリーなんだとか。

こちらもジョージア製法、欧州製法、両方作っているそうです。

この時期はブドウの収穫シーズン。
お、なにやら近くに湖があるみたい。

クヴァレリ近くのイリア湖。
ジョージアは本当に自然がすごい。
道路に牛や羊がいるのにはもう慣れましたが、どうしょうもない巻き込まれ方をすることも。

全然前に進めません。お~い、ちょっとどいて~。

クラクションを鳴らしても、迷惑そうな顔で見てきたり。いや、こっちですから。その顔をしたいのは。
日常的に家畜がウロウロしていると、たまには車でぶつけたり、けがをさせたりすることもあるはずですが、こういうときはやっぱり警察を呼ぶのでしょうか。
牛の大群で、ちょっとした渋滞になっていたときなどは、おまわりさんが牛に石を投げて追い払っていました。たまたま警察がそこにいたのか、誰かが呼んだのかわかりませんが、警察とて、牛を端によけさせる術などあるわけもなく。牛も別におまわりなど怖くない。う~ん、でも確かに自分で牛に石を投げるのは飼い主とトラブルになりそうで、やっぱりひどいときは警察を呼ぶのかな。救急車で運ばれているときに牛の団体に出くわしたらいやだなぁ、なんて考えていると、どうにか脱出できました。
山の上にあるネクレシ修道院に寄ったり。

どこまでも見渡せる修道院からの眺め。
コーカサス山脈沿いをどこまでも走ります。
お昼ごはんは、食堂に寄りましょう。

おじいさんとおばあさん、2人で切り盛りする小さなお店。
ジョージア語がさっぱりな我々を見かねて、厨房で直接選ぶことに。

おばあちゃんはハチャプリを作っていました。
静かな厨房。

「ハルチョ」は、ホロホロのお肉にちょっぴりお米が入ったボリュームのある具だくさんスープ。濃厚なトマトシチューのようだけど、どことなくさっぱりしているのはタケマリ(プラム)のおかげなのかな。
むっちりパンに合わせればこれだけで満腹なのです。

ごちそうさまでした!
レンタカーだと、ちょっと気になった場所に寄れるのが楽しい。
そうしている内に、車はパンキシ渓谷に入って行きます。
今までよりも山がグワッと迫ってくるような、そんな風景の中を進みます。
実はパンキシ渓谷はトレッキングや乗馬などが楽しめるスポットとしても有名なのです。
ゲストハウスも何軒かありますよ。
今回はその中でも評判のよい「Nazy's Guest House」に泊まりました。
ナジーとは、男性のアラブ人の名前によく使われます。おお、何だかイスラム教徒っぽい。
パンキシ渓谷にはいくつか村があり、Nazy's Guest Houseはジョコロ村にあります。
この地域の最初の村「ドゥイシ」に入ったあたりから、頭にスカーフを巻いた女性や、ひげを長く伸ばした男性が増え(と言ってもそもそもの人口は少ないですが)、他のジョージアの集落とは違うことがすぐにわかります。ドキドキ。
パンキシ渓谷は一本道が続くだけのシンプルな町ですが、Nazy's Guest Houseはそのメインロードから少し入った場所。道にいたおじさんに聞くと、自転車で誘導してくれました。慣れた感じ。結構観光客が来るのかな。ほっ。
男性だと思っていた「ナジーさん」は若い女性でした。英語が堪能で、落ち着いた物腰の非常に魅力的な方です。落ち葉を踏んだときにする音のような色の方。
生まれも育ちもここパンキシなのだとか。

敷地内にはブドウ棚があり、収穫したばかりのブドウがドッサリ。
素敵なテラスでのんびり過ごし、待ちに待った夕食です。

ミートボールのスープにハチャプリ、サラダ。
な、なんか、優しい。
人柄が味に出るとは、このことではないのか。

そして、これが絶品。
揚げカリフラワーのヨーグルトマヨネーズ。