エジプト料理と言えば、まず最初に挙げられるのが安くておいしいコシャリ。米やレンズマメ、マカロニを混ぜたものに、トマトソースやフライドオニオン(タアレイヤ)をかけて食べる、ちょっと不思議な料理です。街にはコシャリ専門店があちこちにあり、一皿5ポンド(60円)ぐらいからと、手軽に食べられる、日本で言う牛丼屋の様な存在です。
通常は茶色いレンズマメが使われますが、皮むきの赤いレンズマメを使ったコシャリはアレキサンドリア風、又は、黄コシャリと呼ばれ、油で軽く炒めた茹で卵を添えて食べるのがお決まり。トマトソースは普通はかけません。
アレキサンドリアは、エジプト第二の都市、地中海沿いの町ですが、そこでのコシャリ屋さんで、黄コシャリが出てくるわけではありません。アレキサンドリアでも、お店ではいつものコシャリです。
イラクでも黄色いレンズマメを使った米料理をコシャリと呼んでいるようです。
一方、シリアにはムジャッダラという料理があります。“痘痕(あばた)”といった意味で、ちょっとゾッとするのですが、米とレンズマメを炊き込んだものに、甘く炒めた玉ねぎをのせて食べます。貧しい人の料理と言われ、お店ではほとんど登場しませんが(レバノンではムダルダラという料理名でお店でも食べられますよ!)、13世紀に完成したバグダーディー著【料理の書】にも登場する古い料理です。その中で、米料理だけど、サフランで色づけしないやつ!と書かれています。
話はそれましたが、マハシーはアラブ・中東各国にあれど、コシャリはエジプトだけ。完全にエジプト料理なのです。では、その起源は一体何なのでしょうか?
実は、豆と米のおかゆの様なインド料理“キチュリ”だと言われています。
アラビア語で最初にコシャリという言葉が登場したのは、大旅行家イブン・バットゥータが14世紀に書いた著書【諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物】だとされ、インドを訪れたイブン・バットゥータは、その中で「“コシャリ”という、豆と米の料理を、彼らは朝食として毎日食べている」と述べています。
ただし、そこで彼がこの料理を持ち帰って広めた、というわけではなく、残念ながら?コシャリがエジプトに広がるのはずっと後の事。
19世紀後半にインドを支配していたイギリスが、エジプトにも進出してきて、その時に持ち込まれたものだというのです。そしてその頃、エジプトで大きなコミュニティーを形成していたイタリア人によってマカロニが持ち込まれ、今の様なコシャリが誕生したようです。
ただ、19世紀中ごろには既にコシャリは存在した、という説もあったりと、混乱してしまいますが、インド起源の料理、というのは間違いなさそうです。
有名な料理家、クラウディア・ローデンは1936年にカイロで生まれ、1952年にパリに移住していますが、16歳まで暮らしたカイロにコシャリの記憶はないと語っています。30年後、エジプトに戻ってみると、コシャリ屋が無数にあり、非常に驚いたようです。その影響かどうかはわかりませんが、1972年に初版が発売された彼女の著書【The New Book of Middle Eastern Food】にはコシャリは見当たりません。広くアラブ料理を網羅した本で、ムジャッダラは出てくるのですが。
また、エジプト人の友人のお母様が若い頃に購入した(おそらく50年ぐらい前)料理本を見せてもらった際にも、コシャリのレシピに、ムジャッダラと名前がついていた記憶があります。もっとも、彼女はエジプト風に“マグダラ”と言っていましたが。
ちなみにカイロにあるコシャリの有名店「アブーターレク」、「タハリール」、「サイードハナフィー」はそれぞれ1950年、1964年、1952年に創業しています。
この、インド起源説とは全く別で、エジプトのキリスト教徒のコプトが、コシャリの発祥とする説もあります。動物性由来の食物を食べることを禁じられる断食に合わせて、コシャリは生まれたというもので、ストーリーはなるほど、と思うのですが…。不思議なことに、この話は日本語でしかインターネット上で見つけられないのです。手持ちのアラビア語、英語の書籍や、ネット検索では、この説はちょっと見当たりません。私はアラビア語や英語は、日本語ほど堪能ではないので、単なる能力不足なのでしょうか。しくしく。
というわけで、今の所、やはりインド料理が起源なのでは、と、思っています。
街にはコシャリ屋さんがたくさんあり、しかも安いので、もっぱら外で食べられているものと思う人も多いかもしれませんが、家庭でもよく作られているのです。お店のコシャリは米が少ないのですが、家ではたっぷり使ったコシャリを楽しめますよ!
お店では、唐辛子(シャッタ)と、ニンニク酢(ダッア)がテーブルの上に置いてあるので、好みで振りかけて食べるのですが、家では、あらかじめソースに入れておく方法が一般的です。
ニンニク酢(ダッア)は、日本語メディアでは「カル」などと紹介されているのを目にします。「カル(ハル)」とはアラビア語で酢という意味なのですが、このコシャリにかけるニンニク酢の事を「カル」と呼ぶことは普通はありません。エジプト人に「これ(コシャリ用のニンニク酢)はカル?」と聞くと、うん、と答えるかもしれませんが(酢なので)…。
材料
米…1カップ
レンズマメ…0.5カップ
マカロニ…0.5カップ
トマト…3個
ニンニク…5片
酢…大2
クミン…小0.5
ドライコリアンダー…小0.5
唐辛子…1本
玉ねぎ… 2個
ヒヨコマメ(茹で)
油
塩、コショウ
作り方
①レンズマメは軽く洗い、柔らかくなるまで水から茹で、水を切る。
②マカロニは表示通りにゆでて、水を切る。
③鍋に油を熱し、シャアリーヤを濃く色づくまで炒める。熱湯を1.5カップ強加え、洗った米、レンズマメ、塩を加え蓋をして弱火で炊く。
④ソースを作る。トマトは皮をむき、ミキサーでジュースにする。鍋に油を熱し、みじん切りにしたニンニクを香りが出るまで炒め、トマトジュースを加える。煮立ったら弱火にし煮詰める。唐辛子、酢、クミン、ドライコリアンダー、水0.5カップを加え、とろみのあるソースになるまで再度煮詰める。塩、コショウで味を調える。
⑤フライドオニオンを作る。玉ねぎを太目の薄切りにし、油で揚げる。
⑥炊き上がったごはんにマカロニを混ぜ、皿に盛る。トマトソースをかけ、フライドオニオン、ヒヨコマメを飾る。
分量は目安です。好みでマカロニを増やしたりしてください。一般的にはスパゲッティーを加えることも多いです。
トマトソースには、玉ねぎのみじん切りを加えたくなりますが、エジプト人に教わったレシピや、その他のレシピでもニンニクのみのことが多いです。玉ねぎは上にかけるから!が理由だそう。
日本だとトマトの水煮缶を使ってもいいですね。私は実はトマトの皮をむかずに、おろし金ですりおろしています。
トマトジュースを鍋に加えたら、必ず一度ゆっくり煮詰めてください。目安は木べらで鍋底をこすったときに、底が見える位です。これを“ムサッビク”というのですが、このコシャリのソース以外にも、トマトベースの煮込みのときに行うポイントです。
写真ではわかりませんが…、実はこれ、前の晩に棒棒鶏のチキンをさっと茹でた残り汁でご飯を炊いているのです。ちょっと反則ですね。でも、マズイわけがない!過去には昆布出汁でも。
レンズマメは米と一緒に炊き込まずに、最後にマカロニと一緒に盛り付けるレシピもあるのですが(お店でもそうですね)、炊き込んだ方が豆からもよいうまみが出て、私はこちらの方が好きです。レンズマメの茹で汁で米を炊いてもいいですね。ただし、少し色がつきます。
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